まち協とは

 

まちづくり」とは何でしょうか。それはひとつの地域に一緒に生活している住民が、深い結びつきをもって、利害をともにし、お互いに協力しあい、助けあって日々のくらしをすすめている、この地域の社会のことです。つまりは私たちの住んでいるこの町のことだといっていいでしょう。a_ilst005
 一方で、最近の私たちの生活をとりまく現在の状況は大変厳しく複雑になり、簡単には解決できないような問題が数多くおこっています。
 たとえば、世界的にも例のすくない速さで進む高齢化、子どもの数が減っていく中での教育や子育ての問題、地震などの大規模災害への備え、経済の低迷や犯罪の増加などなど、簡単には私たちだけではとても解決のできないようなことばかりです。
 そしてそれらの問題は、いろいろな形で毎日のくらしにさまざまな影響を及ぼしはじめています。

 では、このような日々のくらしをとりまく問題に対して、今まではどうしていたのでしょうか。ひとつは自分で何とか問題に対応していくことです。これを「自助」(自分で自分を助ける)ということにします。
 それに対して行政が主導して解決をはかるやり方があります。役所に何とかしてもらおうという考え方です。これを「公助」といいます。公(おおやけ)のちからで何とかしてもらおうという考え方です。
 そのようにして私たちは何とか今までの生活をおくってきました。

 けれども、現在のような複雑化した社会状況に対して、これまでのような社会的なシステムによるものだけでは次々におこってくる複雑な問題に対応しきれなくなってきはじめています。その解決力に限界がみえてきたのです。
 そこで、今までのようなやり方に加えて、どこかの誰かが助けてくれるというのではなく、ここで暮らしている私たち自身がお互いに助け合う「互助」や、みんなで力や知恵をだしあい、いっしょになって助け合う「共助」といった考え方が強く求められるようになってきました。calf

 そしてそのような考え方の具体的な最近のあらわれとして、自主的な住民の活動を中心とした「まちづくり協議会」とよばれる、協力組織が全国各地のコミュニティにおいて数多くつくりだされ、さまざまな活動を展開するようになってきたのです。

 互助や共助という考え方は、決して新しいものではなく、かっての日本の地域社会の中にはひとつの伝統として存在していたものでした。自治会や町内会もそういうことを目的として生まれてきたもののひとつでしょう。

 そしてこのようなまちづくり協議会にかかわる動きは今一度、こういう考え方を再生させて、そこに新しい命を吹き込もうとしているのでしょう。行政もまた、さまざまな方法でこのような動きを支援しようとしています。

 全国的に見てみますと、まちづくり協議会の形態はまさに多種多様であり、その地域にあったさまざまな工夫と努力がなされていることがよくわかります。
 そこでとりくまれている問題も広く多様であり、住民の生活要求にこたえようとしています。そこには、なになにをやってはいけないという制限はまったくないのです。その中からいくつかの共通点をみてみましょう。

 第一は、対象となるまちづくり(地域社会)は、従来のような自治会単位の地域よりも広く、多くの場合、小学校区をひとつのまとまりとして考えられている例が多いようです。image1
 これは、おこってくるさまざまな問題の広さや深さが、自治会単位の広さでは対応しきれなくなってきたという面もあるからでしょうし、それに対して小学校区というのは、私たち住民にとっておたがいに顔が見えて、目の届く範囲の中で最大限のものであり、住民の自発的なパワーをほりおこしやすい、つまりは「互助」や「共助」の力がもっとも発揮しやすい最大限の大きさといえるのではないでしょうか。

 第二は、活動の中心は自発的ボランティアが主体であり、その任期は、多くの自治会でおこなわれているような1年の役員任期(そのために問題への対応も制限されやすくなる)というのとは違って、何年も活動を継続することもできます。
 そのために、問題に対応する経験や知識が蓄積されやすく、長期的な考え方にたった活動が可能になります。また、自発的ボランティアはそれが自発的であるがゆえに、その積極性や行動力がおおきく発揮されています。
 そしてこれからは、高齢化社会の中で、現役引退後の第二の人生を考えている、豊かな才能と技術を持った方々の参加が強く求められています。

 ボランティアということについて考えてみましょう。簡単にいえば「ひとだすけ」です。そういいますと、正直な話、だれでも心の奥底の片隅に、「一銭の得にもならない。ものずきな・・・」とか「ひとのことなど・・・」という思いが少しはわいてくることがあります。
 でも、人間は本当にそんなに利己的な存在なのでしょうか。ボランティアは、本当にものずきな人たちだけの問題でしょうか。

あの阪神大震災のとき、地域住民の方々の間から、自然発生的にひとつの美しい日本語がよみがえったということが報告されています。「おたがいさま」という言葉です。いつの間にか忘れられていた温かくてやさしい日本語です。
 震災の真っ只中で一番苦しんでいるはずの被災者が、同時に自分のできる力の範囲で、他の困っている人を助けようとする。「あなたのほうこそ大変なのに・・・」という人に対して、自然にこの言葉がかわされるようになっていったといいます。s02_04

 おたがいさま。素敵な日本語ではありませんか・・・人間は互いに支えあい助け合って生きてこそ、本当に人間らしい豊かな生き方ができるのです。
 そしてそれは、隣に住んでいる人の名前も知らず、孤独死したお年寄りが何ヶ月も気づかれなかったという、灰色の砂漠のような大都会の社会の暮らしとは正反対のものです。
 そして、私たちのすむこの街を決してそういう社会にしてはならないというのは誰も願うことではありませんか。

あるいはボランティア活動の受け手とともに、いやそれ以上にボランティア活動を行った送り手もまた、そこから多くのものを学んで、いやされ成長しているという報告があります。
 阪神大震災に全国から駆けつけた数万をこえるボランティア参加者の多くが「被災者のみなさんに対して、この自分の活動がすこしでも役に立てるという得がたい体験が、自分に自信を取り戻し、自分の価値をみつけ、生きる力を与えてくれ、成長させてくれた。
 逆に自分のほうこそ、心にたくさんのものをもらって本当にみなさんに感謝している」という感想を述べています。
 そして、このようなボランティア体験は参加者の心身の健康にも大変効果的だということは、専門家の研究でも明らかになってきています。まさに「情けはひとのためならず」なのでしょう。a_ilst006

種はまかれなくては生えません。まちづくり協議会という苗はまだひ弱な存在かも知れませんがともあれ、種はまかれたのです。
 みなさんの「互助」と「共助」の地域力をもちより、知恵を絞って、この苗を大きく育てる仕事にあなたもぜひ参加してみませんか。みなさんのおいでをお待ちしています。

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